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絵画について
油絵は堅牢な画面を構成力を持って描くものだというのが一般的な絵画観であろう。私も油絵の筆を初めて握ってからの十年間位はそう考えていて、画面の構成をどうしたものかと、そのことばかりに捕われていた。がっちりした構成と強い画面、その西洋絵画の基本的な常識は拭い去り難い頑固な悩みの種だった。と言うのも、新しい絵を描こうとしてどんなに頭をひねってみても、遠近感のあるがっしりした構図を思いつくことができない上に、漸くやっと描いたとしても、出来上がった作品が自分自身の感情を乗せていないように感じられて、しっくり来ないのである。僕には絵を描く才能がないのだと、落胆につぐ落胆の日々が続いた。
しかし、絵を描き始めて十年くらい経ってからであろうか、一つの転機が訪れた。ゴッホの終焉の地、オベール・シュール・オワーズを訪れたときのことである。生まれて初めて目にするフランスの田舎の風景。ゴッホが描いた絵そのものが目の前に展開している。ゴッホはまさしくここに立ってこの教会を描き、ここで烏の群れる絶望の麦畑を描いたのだ。糸杉がある。貧しいゴッホの下宿屋もある。それまでに経験したことのない興奮が突きあがって来て私を圧倒した。私は氷点下の寒さの中でスケッチブックに鉛筆を走らせ、写真を撮った。これこそ遠近を取り入れた構築力のある絵だと、私は考えた。次の日もその次の日も私はオベールとその周辺の農村を歩き回って、こう考えた。日本に戻っても、スケッチと写真の蓄えは十分だ。新しい自分の絵が今から始まるのだと。私の興奮はいよいよ激しくなった。だが、四日目に出かけて荒涼たる冬枯れの麦畑を眺めていたときに、どういう訳だか今でも分からないのだが、突然、
「これは、違うだろう」
という声が胸の内で生まれて、私を脅すのだった。
「これは、決して、お前ではないだろう。」
声は抗し難い強さを持って言うのだった。ここはフランスで、ここはゴッホが生きた現実なのだ。お前は単なるエトランジェ、異邦人ではないか。駄目だぞ。
私は内臓にまで杭を突き入れられたような気分を抱えてパリのホテルに引き返した。麦畑を眺めているときに聞こえてきた声が頭の中に居座って、拭い去ることが出来なかった。
絵になる風景というものは確かにある。絵になる構成というものも、ある。しかし、絵を描くとは、単に目の前の自然や物をキャンバスに写すことではないのだ。自然は絵のためのモデルではない。私は私の人生の現実、こたえてかなわぬ冬の寒さを描かなければならない、このような思考が少しずつ形を成してきて、揺るがなくなっていった。日本に帰ったら、私の絵を描こうと、私は決心した。西洋絵画の常識はもうなくてもいいだろう。構築力も画面の堅牢さや強さだって、なくても構わないだろうと。
その時から十五年くらいが過ぎた。私はこの間ずっと麦畑に立ったときに聞こえてきた奇妙な声のことを考え続けてきた。私の心にこたえてかなわぬ冬の寒さ。
石でも木の実でも枯れた植物でも、自然がもたらす物はすべてものを言う。それらの物は、破られ、挫かれ、絶望しかかった私たちを慰めてくれる。そんな抽象的な思いを画布上に表せたらと考えている。
前 壽則 |
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